もしもピアノの先生でなかったら PartⅡ

つぶやき

高校入学当初は、自分は文系で文学部に進むのかな、国文かなと思っていたのですが、大津皇子さま熱病を発症してから治まることはなく、結局史学科のある大学を選ぶこととなりました 理系で大企業のエリート社員だった父には「歴史なんか勉強して将来何でメシを食っていくんだ?」と理解はされませんでしたが 私が男だったら許してもらえなかったでしょう。
進学後は、大学院まで進みたい、遺跡巡りをしたり史料室にこもって好きな勉強を続けたいと考えていたものの、古代史ゼミ担当の先生が とても頭のキレる方で(今も大学で教鞭を執っておられるはず)、私には これほどの切り口を持つセンスはないと思い知らされてしまい、私なんかが院に進んでも大した研究者にはなれない、それよりは歴史ファンのままでいようと決めたのです。

在学中に、バンド活動を始めました 同じ学科の男子学生と意気投合(ちなみに彼は今でも親友)、学外から広くメンバー募集をして初めて結成されたバンドは「はるか」と名付けられました。
えらい可愛らしいネーミングだけど…ライブをするに当たってはバンド名が必要なので、メンバーで相談が始まったものの、なかなか誰も思い付かず…確か、疲れてきた頃に誰かが適当に列車名を言い出して(例えば新幹線の「ひかり」とか「こだま」とか)、関空特急「はるか」の名前で、なぜか「それ、いいじゃん!」となったのです 京都らしいといえば、らしいですね
お世辞にも上手いとは言えないバンドでしたが、ボーカルの歌唱力と存在感は素晴らしく、オリジナル曲を作る楽しさを教えてもらったり、また男友達との思い出もいっぱい作れた、キラキラした青春の「はるか」です 私が関わってきたバンドで、メンバー全員が独身だったのは「はるか」だけ。バンドメンバーで泊まり掛けの旅行もしたりと、本当に楽しかった。

別に、バンドでプロを目指したいとかはなかった。歴史学者を諦めてからは、明確に何になりたいか、卒業後こんな仕事をしたいとか、浮かんでこなかった気がする。
主に家庭教師のアルバイトで稼いだお金で、在学中にアナウンススクールには通いました。声優への憧れは、ずっと続いてはいました。

…2話で終わる予定だったのに PartⅢに続く

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昨日は、転居のため私との最後のレッスンだったNちゃんを、泣かずに見送ることができました。
これは、Nちゃんと発表会のステージに立ったことのある教室仲間たちが書いてくれた寄せ書き。保護者の皆さま方の温かいご協力に、感謝しかありません。「いつの間に…」と驚き、喜んでもらえました
「さよなら」は言わなかった。「じゃあ、またね」と送り出しましたよ

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